JRAの機関誌である 「ぱどっく」にて JRA栗東トレセンバスケ部が紹介されました。そこにはなぜか・・・安井商店のワカが・・・
こんにちは!サブです。
今から遡ること7週間ほど前、6月2日木曜日の仕事終わり午後7時過ぎ、ワカからLINEが入りました。
「Mさんやった!来る?」
いつ見ても無駄のないワカからのLINE。
だいたいスタンプで済ますのだが、さすがに上記の一文を著すスタンプはなかったとみて文になっていた。
ボクは厚生会館(JRAの体育館も含んだ多目的福利厚生施設)に向いました。
そこから遡ること1時間ほど前~
「サブさん、今日のバスケの練習に『ぱどっく』が取材に来るみたいやわ」
とワカ
「へぇ~『ぱどっく』って、よく大仲(厩舎の休憩所)とかに置かれてる小さい冊子やんな」
とボク
「そやねん。今度それにトレセンバスケ部が載るらしくて、その取材が今日みたい」
とワカ
「ほななんか面白いことしなアカンやん。ほにゃらら・・・ほにゃらら・・・」
みたいな仕事とは関係のないどうでもよい会話が続いた。
まさかこれがブログのネタになってくれるとは・・・・・・
ワカが初めてJRA栗東トレセンバスケ部に顔を出したのは、今から約20年以上前の中学3年生くらいのことだそう。
そんな前から?
と聞くと、バスケ部自体が栗東にトレセンができて2,3年後に厚生会館ができてからずっとあるらしく歴史は古い模様。
創部当時のメンバーには橋口弘次郎調教師や田中耕太郎調教師が名を連ね、その長い歴史の中には、今を時めく角居調教師や藤岡健一調教師、西村真幸調教師と言った面々も在籍されていたとのこと。
栗東トレセンバスケ部。
ーそれはまさに「調教師製造工場」ー
と言った様相。
現在、大阪スポーツ土曜競馬コラム「まいど!野村ですぅ~」でおなじみの野村功さんもトレセンバスケ部出身であり、競馬界の顔である人材を綺羅星のごとく輩出し続けるトレセンバスケ部ですが、なぜそこに安井商店のワカが在籍しているのかは謎である・・・・・・続く
『ぱどっく』とは?・・・・・調教師、騎手、厩務員といった厩舎関係者、並びに馬主、競走馬生産牧場や競馬界の職員に配布されるJRAの機関誌。
奇数月に発行されている。
今回ワカが掲載されていたため、調教師会さまのご好意で一部いただきました。