199X年、世界は核の炎につつまれ、あらゆる生命体が絶滅したかにみえた。
だが、人類は死滅していなかった。
少ない水と食料を求めて争い、強い者が弱い者を暴力によって支配する、荒廃した時代に人間は生きていた。
今読んでみると、
「何を寝ぼけたことを」
となるが、
連載開始当時は1983年。
サブは小学4年生。
ノストラダムスの予言が俄かにブームとなり、東西冷戦の激化と相まって、
「こんな世紀末が本当にやってくるかも」
という時代の空気を反映していた冒頭の文は、近未来予言系バイオレンスアクション漫画・『北斗の拳』の前口上である。
こうした時代的背景の設定を下に、伝説の暗殺拳・北斗神拳の伝承者ケンシロウが恋人であるユリアを求めて様々な友(ライバル)達と相対するというストーリーが繰り広げられていく。
そんなライバル達の中にあって、一際高い人気を誇るのが、一子相伝と言われる北斗神拳伝承者の座を争ったケンシロウの兄・ラオウだ。
ケンシロウと戦ったライバル達は、それぞれが大変、個性的かつ魅力的なキャラクターではあるのだが、ラオウのそれは他の追随を許さず、読者に与えた影響はその存在感同様、『圧倒的!』の一言に尽きる。
画家である原哲夫氏の研究し尽された筋肉の描写がさらにラオウの肉体に伊吹を与え、その姿は強者そのもの。
言わば、強さの象徴。
多くの男子の憧れだ。
少年時代の私もその例に漏れず、お風呂に入った際、まだ発育途上の貧弱な自身のカラダから立ち登る湯気を鏡で眺めて見ては、『摩闘気』に纏われている錯覚に陥り、体中に力が漲る変性意識にたびたび入っては、悦に浸っていた。
また、武道を嗜んでいた学生時代には、自ら決して地上に膝を着くことを許さないラオウの精神性。
そして、あまりにも有名な『我が人生に一片の悔い無し』と叫びながら、ケンシロウに倒され、立ったまま絶命するという壮絶な最期。
その不屈の生き様を武道の試合中に、
『倒されてなるものか』
と、苦しい場面で自分の弱さを鼓舞する糧としていた。
対して、ケンシロウ。
所々に勝ちか?負けか?危うい戦はあったが、ライバル達全員から勝利を収め、ほぼ完璧なレコードで非の打ち所のない戦績を残す。
強さに関しては申し分ない。
弱きを助け、悪を憎むその精神もヒーローたるものだ。
不愛想ではあるが、幼いバットやリンが片時もケンシロウの傍を離れなかったことから、その人柄や人望が窺える。
軽口を叩いた側近を一撃で殺してしまうラオウの鬼畜ぶりとは真逆である。
しかし、
恋人ユリアを追い求め、駄々っ子の如く、行く先々でその土地を統治する悪者を片っ端から葬り去り、破壊しては放置することを永遠と繰り返す。
そして2度とその地に戻ることはない。
世直しはするが、国や土地を治めることなく、身勝手に行方不明となるケンシロウ。
「放ったらかしかい!」
と助けられた民たちの叫びにも似た心の中の突っ込みが聴こえてくる。
『愛に生きる』と言えば聞こえはいいが、ただ単に色ボケした無法者と言えなくもない。
返す返すも、絶世の美女ユリアに骨抜きにされてしまったことを筆者は残念に思う。
その点、ラオウは世紀末の世の中を自らを覇者として振る舞った。
秩序と掟を愛し、民にも、最愛のユリアにさえも服従を求めた。
英雄の成せる業である。
ユリアへの愛に服従したケンシロウとは、どこまでも交わることはない。
よって、私はラオウ派。
この度、光武酒造場から『北斗の拳』焼酎がリリースされました。
安井商店でも店頭に陳列していますが、売れ行きは好調です。
詳しくはコチラ→(http://yasui-sake.net/?p=2964)
翻って、現代の世の中、『お前はもう死んでいる』的な連中は多数存在するが、『我が生涯に一片の悔い無し』と断言できる人間は元・横綱・稀勢の里ぐらいのものだ。
以上、世紀末でも何でもないのに世紀末救世酒伝説を述べた。
言わば、
元号末救世酒伝説!
違うな、
平成末救世酒伝説!
いや、なんか違うな、
平成最後の救世酒伝説!
これかな。
世紀末に現れた『北斗の拳』。
平成最後に現れた『北斗の拳』焼酎。
さて、ケンシロウとラオウ。
アナタならどちらを選ぶ?