今日は少しまじめに 願ってることをつらつらと
「人は艱難は共にできるが、富貴は共にできぬ」
この言葉は、高杉晋作が元治の内乱後、藩主からの要職の話を固辞した時に放った台詞。
漢字を簡単にすると
「人は苦労は共にできるが、、繁栄は共有できない。」
苦楽は仲間と分かち合えるが、ひとたび上に立ち富や権力を手に入れると人は自分を見失い仲間との間に亀裂が生じる。人が変哲する姿は見たくない。私は仲間と同じ立場に留まりたい。
ふむ。
一方、同じく維新の立役者・西郷隆盛は明治新政府の下で、かっての同志に討伐される。
高杉だけには恐ろしいほど先が見えていた。
現状を見れば、「コロナ離婚」なる言葉が出現するなど、現代人はそんな時代から果てしなく遠いところに辿りつく。
つまり、
この世は
「人は富貴は共にできるが、艱難は共にできぬ」
漢字を簡単にすると
「金の切れ目が縁の切れ目」
見事なほど反転した。
高杉が生きていたなら何と言ったかな?
政府の自粛要請には
「経済はどーするんだ?」
「子供の学業の遅れはどうするんだ?学校に行けない子供たちの気持ちはどうしてくれるんだ?」
「自粛した補償はしてくれんのか?」
感染が拡大すれば
「非常事態宣言の判断が遅すぎる」
「もっと強制力をもって進めろ!」
マスクを配れば配ったで
「2枚しかくれないのか?」
「マスクが小さ過ぎる」
「洗濯したら縮んだぞー」
「異物が混入していたぞー取り替えろー」
10万円の給付金が決定すれば
「支給が遅い」
「ややこしいのはイヤだー。方法を簡素化しろ」
電波は言いたい放題。
全てが後出しジャンケンで、言ってることの整合性は昨日と今日で全くない。
気分しだい。
かき回すだけかき回し、
自ずから努力する気なんてサラサラなし。
すべて他に押し付け。
10万円なんて大金は有難いし、
ウチのチビは
「安倍ソーリからマスクが届くんやー」
って喜んでたぞ。
大変な一年になったけど、
この先もなりそうだけど、
艱難を共にして、
苦労を共にし、
共に知恵を出し合い、
工夫をし、
面白きことも無き世に面白く、
何とか耐え忍んだならば、
国も国民も我が安井商店も色んなことを見つめ直すまたとない機会になるはず。
災い転じて福と為す。
新しい価値観は
「人は艱難は共にできるが、富貴は共にできぬ」
もう一度、あの頃の原点に還ること。
そんなものであって欲しい。
薄っぺらい同情心なんかではなく、
自分から遠い他人ではなく、
今、本当に守るべきものを全力で守って欲しい。
僕らを導く上の方々には切にそうお願いしたい。
そして私自身は
自分の身は自分で守る、
そんな自分になりたいな。
コロナから得た教訓。
オッス!!