3月から競馬界に新しい風が吹く バトンを受け取った師弟コンビは新たな伝説を築くか
こんにちは!
サブです。
先週の水曜に北出調教師からご依頼があった「棒ほうじ茶」が入荷したので、厩舎の先生側の部屋へ配達。
何やら先生がいらしゃる気配だったので、
「おおきにー安井ですー」
と大声でご挨拶。
すると、
「おっ!サブちゃん」
奥の部屋から笑顔で北出先生があらわれる。
「先生、最近こんなお茶飲んではるんですか?」
「そやねん!これ石川行った時に見つけて。厳密に言うと、これと全く同じもんではないんやけど、美味しいねん!サブちゃん、一本持って帰り」
と、箱を開けて取り出し、プレゼントしていただく。
いただいた棒ほうじ茶。
香ばしい風味で贅沢な味わい。
店でも取扱いありますんで、ぜひ、お試しください。
北出先生、ご馳走さまでした!
「えーっ!いいんですか?嬉しいですわ。『どんな味かなー』と興味あったんで。先生、今年スゴイですねー。このまま行ったら、50勝は行きますよー」
と競馬の話を振る(北出厩舎はこの会話をしていた2月6日の時点で5勝。現在は6勝で全国リーディング10位)
「亀田が帰ってきたら、ガタッと落ちたりして」
と、他人事のように笑いながら、冗談で返す先生。
亀田とは?
この春に北出厩舎所属でデビューする新人ジョッキー、亀田温心(カメダ・ハート)くんのこと。
この亀田くん、少なからず安井商店と縁がある。
大将の生家が淀の京都競馬場近くの酒屋さんであることは、店主紹介のところで触れている(詳しくはコチラ→http://yasui-sake.net/shop)
その大将の親元である淀の店でアルバイトしていたのが、学生の頃の亀田くんのお母さま。
そうしたご縁から、亀田君が競馬学校に合格し、ジョッキー見習いになる際、身元預かりの所属厩舎探しに尽力したのが、何を隠そう淀の安井商店・店主である安井博三氏(通称・ヒロくん)。
ヒロくんは、大将から見れば、お兄さんの子供なので甥っ子になる。
ヒロくんのお父さん、すなわち、大将のお兄さんの安井栄蔵さん(通称・栄ちゃん)は、北出先生が開業された当時、自ら所有する馬を預けていた間柄。
なので、細かい経緯を話すと際限なく長くなるため間の話は割愛。
短く言うと、
ヒロくんから頼まれた北出先生が亀田君を引き受けた。
3月に新規調教師開業と新人ジョッキーデビューを控え、図らずともこのような話題のブログになったが、昨年の開業時期に東京スポーツさんのWebで北出先生の記事が掲載されおり、とても感銘を受けたので今もLINEにkeepしている。
その記事を少し長いが引用させていただく。
~~ 新規調教師がデビューするこの時期になると、記者がふと思い出すのは、2005年に北出調教師が試験に受かった後に会見で口にした印象深い言葉だ。こういう場では毎回、
「目標とする調教師は?」
という類いの質問が出て、その答えは調教助手時代にお世話になった師匠の名前が出るのが通例なのだが、、、。北出師が挙げた人物は従来のものとは違って、
「岩元調教師です。」
家が近くだったらしいが、岩元師と師弟関係でもなければ、深い交流があったわけでもない。それでも、北出師は尊敬するトレーナーに、先月いっぱいで定年引退した岩元師の名を挙げた。
「なんで岩元先生だったのかって?オペラオーにずっと和田を乗せ続けたでしょ。あれはなかなかできないこと。すごいことだと思って。」
のちに絶対王者として君臨するテイエムオペラオーが1999年の菊花賞で2着に敗れた後、主戦の和田が降板の危機にさらされたことは有名な話だ。
それでも岩元師は
「俺とオーナーの仲だから」
こそできたのだろうが、竹園オーナーを説き伏せて、和田を乗せ続けた。
この時の説得があったからこそ、翌年の年間8戦8勝の快記録があったと言ってもいい。
「岩元先生が見せた、ああいう姿勢はこれからも忘れてはいけないと思う。自分自身がそれをできるかといったら、、、簡単ではないだろうけどね。」
今、北出師は競馬学校の騎手候補生(亀田くん)を厩舎で預かり、面倒を見ている。
騎手交代に、よりシビアになった今、岩元師と同じことをするのは極めて困難だが、少なくともスピリットを受け継ぐ調教師がいることに、ちょっぴりホッとする記者であった ~~
昨年、その岩元調教師が2月に定年引退。
それを見届けたかのように5月17日にテイエムオペラオー号が死亡。
そして、その約1か月後の6月24日に和田竜二ジョッキーが宝塚記念を制覇。
ジョッキー自身、テイエムオペラオー号で勝った2001年天皇賞(春)以来、実に17年振りのG-1制覇であった。
このテイエムオペラオー号を巡る一連の流れは、競馬ファンの間では記憶に新しいところである。
と共に、
物語もひとつの終焉を迎えたかに思えたが・・・
「亀田には、デビューの抱負を聞かれたら、『目標としているジョッキーは何々さんです!』みたいなありきたりなことは言ってほしくないんやけどなー。『ボクが外人ジョッキーの快進撃を止めます』ぐらいのことを言ってほしい、、、できる、できひんは別として、、、」
冒頭の
「亀田が帰ってきたら、ガタッと落ちたりして」
の冗談の後に、こう言葉を続けていた北出先生。
裏を返せば、
「成績が落ちても亀田を乗せますよ」
という言葉に聞こえなくもない。
奇しくも、自らの14年前(2005年)の会見で語った言葉が、まるで予言のように今の先生の状況にシンクロする。
建前上の常套句ではなく、スピリットを伴う言葉は自分をあるべき姿へと導いていくのかもしれない。
岩元先生と和田ジョッキーから
北出先生と亀田くんへ
物語は、
まだまだ終わらない・・・